ようやくRIP SLYMEのアルバムを4枚買った人がHIPHOPの歌詞について感想をのべるよ

というわけでようやく4枚全部買いました。シングルは買いません。これ以上音楽好きになったたまるか。4枚の中では「TIME TO GO」が一番好きな曲が多かった。でも最初に聞いた時は、音がつまりまくってて気持ち悪くなった。それに比べると、「masterpiece」はゆったりしていて聴きやすい。店で正価で買ったもの、中古屋で買ったものなどいろいろだけど、「TOKYO Classic」を正価で買ったことは後悔したい。
でそれだけの履歴でHIPHOPの歌詞について感想をのべると、
(1)どうしてそんなに自己紹介したがるのか
もうなんしかとにかく自分の名前をいったり、俺が○○だぜーといったり、うるさい。聴いてて腹が立ってくるくらい自己紹介している。知ってるって、いわんでもわかるって、と思うがどのアルバムでもいってる。これがHIPHOPなんだろうか。なんか河内音頭みたいだ。
(2)韻を追求するあまり、ボキャブラリーがえらいことなってる
英語と日本語を混ぜて使うのは、たぶん日本のあらゆるミュージシャンがやってるんだろうけど、聴いてて気持ちいいのと気持ち悪いのがあるなあと。RIPは気持ちいいほうだと思う。このあたり、韓国とか台湾のミュージシャンの人がどうしているのだろうか。でも日本語は英語をぶっこめる文法構造なのが功を奏しているのではと思う。あと日本語を追求するあまり、普通の若者がつかわないような難しい単語が出てくるところもおもしろい。日本語方面へ追求しすぎると右翼に近くなってくるんじゃないかと思う。RIPはそれほどでもない。
という上記2点が気になって気になってしかたないので、歌詞を真面目に聴いたり歌詞カードを読んだりするのは無理だと思った。だからカラオケでなんてとても歌えない。自分の若い頃は、好きなミュージッッシャンの歌詞をノートに書き留めたり、机に落書きしたり、手紙のエピグラフにつかったりと恥ずかしいこと満点だったのだが、最近の若い子は一体どうしているんだ。
あと歌詞を書く能力とそれを歌う能力とは全然違うようだ。さらに資質としての声があるみたい。いい声で歌詞書くのが下手な人は、無理せず人の書いた歌詞で歌えばいいのにと思った。こう思う時の気持ちは面白いのにネタがしょーもないお笑いさんを見る時の気持ちに近い。シンガーソングライター価値みたいなのがHIPHOP界にもあるんだろうか。発祥から考えると、自分で書いたリリックじゃなきゃHIPHOPじゃないぜ、ぐらいのこと言われそうだが、いまどきの若者でHIPHOPする人が社会闘争としてのHIPHOPをやってるとは思えない。
昔、俳句を習っていたことがあるのだが、俳句というのは先生に添削されるのが当然の文芸なので、自分でつくって推敲してから投稿しても雑誌には先生添削後の句がのってたりする。で、先生がどこをなおしたかを解説してくれていたりする。俳句におけるこのシステムが長い目で見ていいのかどうかわからないけれど、少なくとも自分は、先生に添削してもらうとちょっとのことでぐっとかっこよくなるのがわかってとても面白かった。俳句は制約の多い文芸だけに、らしさ、というのがあるのですね。HIPHOPの歌詞も制約の多い分野みたいだから、添削する先生とかがいてもいいんじゃないかと思った。結社もつくる。月謝もとる。雑誌の代わりにCDをだし、句会の代わりにクラブイベントをやる。吟行のかわりに地方のクラブへみんなで出かける。歳時記の代わりに決まり韻帳みたいなのもつくればいい。そんでいろいろ派閥ができると面白いよね。花鳥風月を詠む一派とか、人間関係を詠む一派とか。あー書いてるうちに楽しくなってきちゃった。