生きている音楽家のファンは幸せだ

まともに新譜を出るたび買い続けている唯一ならぬ唯二の音楽家RIP SLYMEとSoul'd Outの新譜が暮れから新年にかけて出た。しかしこの「音楽家」という表記はなんとかならないのか、われながら。自分としてはごくごくふつうに「うたうたい」みたいな形で表したいのだが、両者の演奏というか表現形態は「うたうたい」とか「バンド」とはちょっとちがう。そして自分は「うたうたい」とか「バンド」か表現しえるはずのモノに「アーティスト」という表現を使うのは好きじゃない。なので折衷案としては「音楽家」くらいしかないのだが、まあでもそれもやっぱりちがいますね。困る。
で、その二者の新譜を半年たった今でもじみじみと聴いているのだが、どっちも結構気に入っていて、最初はリップのほうはいまいちだなあと思ってたけど、ずっと聞き続けてたらだんだんよくなってきた。目新しくはないと思うけど定番のよさがある。ほめています。S.O.はいつもどおり言語感覚が完全に崩壊しているのがスバラシイ。これもほめてます。多くのS.O.ファンはどのように愛しているのだろうか。中居くんのファッションについては目をつぶってしまうジャニーズファンの愛もこんな感じなのだろうか。
そんでそれなりに満足してAmazonのカスタマーレビュー見に行ったら、くっきり評価がわかれていてですね。S.O.があんまし評価されてない。RIPはなかなか評価高い。なんかこういうズレってとても興味深い。断っておくが自分の音楽的審美眼には最初から自信などない。むしろ低い。だから専門家の評価とずれても別になんとも思わない。でも同じ思いをもつ人の書いたものを読んで、含み笑ったりひとりうなずいたりしたいわけで、それは結局のところ、消極的につながりたいわけなんだけど、評価が低くてつながれなくて、ちょっと残念だったり、デモなんでそうなるんだろうと思ったり。
という経験をしながら思ったのですが、「大して評価の高くない作品」をわくわくしたりどきどきしたりしながら聞いたり、感想書いたり、感想見に行ったりするのって、生きてる音楽家のファンにしかできないことですよね。ちょっと前、70年代英米ロックを聞き始めようとしていたんだけど挫折した原因はそんなところだと思った。自分のような「ナニカについて書かれたもの好き」の人間にとっては、時の洗礼を受け、『○○にとっ最大の駄作』のような世評が定着している場合、どうしてもソレに手を出す気持ちが鈍る。たとえその後に『・・・と一般には評されるが筆者にとっては最愛の一枚だ』みたいなのがくっついてたとしても。それは修行であって、なにかをプレーンに鑑賞するという態度ではない気がするよ。有限の時間と資金という制約のせいかもしれないけれど。
すでに評価の定まったナニカについて、フレッシュな気持ちでどきどきわくわくすることは本当に難しいと思った。だから、音楽家だけじゃなくて、すべてのartにおいて、生きてる作家のファンは幸せだと思う。まー逆に、一定以上の品質のものだけを選択して味わえるという意味では、死んだ作家のファンのほうが幸せかもしれないけどね。