ネコソギラジカル下

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)
最終巻ですよー。予想通り、主要な世界観は開陳されないまま、とりあえずの伏線を回収して、超能力バトルして、大団円です。まあ、西尾さんの物語力はやっぱりすごいですね。「いいシーン」書かせたらちょっと頭抜けてるなあ。今回は、「人類最強の言い訳」にしびれました。あと、主体的に動くいーちゃん萌え。
でも、さすがにこれはミステリじゃないだろうと。個人的にはやっぱりクビシメがベストかなあ。ミステリ風味、キャラクタ、イラストすべてが渾然一体となった魅力がありましたね。クビキリ、クビシメクビツリときたためにシリーズ全体読んじゃったってかんじです。サイコロからあとは惰性だなあ。キャラクタ造形が素晴らしいのと、物語力、いい話力でつい読んでしまうというところかと。もう少し、ミステリしてくれるとより一層好みなんですが、それはまた他の西尾さんものに期待することにしたいと思います。シリーズ終了お疲れさまでした。外伝を乱立するのはやめてくださいね。追いかけるのめんどいから。

世界観もの

しかし戯言シリーズもそうですが、この世界と違う世界を描きながら、その違いについては匂わすだけで明らかにしないという作品には、じらされまくって焦げ死ぬ思いがしますね。戯言の場合は物語設計からだんだん世界観が乖離していったので途中で諦めがつきましたが、さすがにりすかで長崎県の謎を明かされずに終わったら憤死するかもしれません。
ブギーポップ読者の人は、よくあんなに焦らされまくって、思わせぶりの嵐にめげず、切れないなあと感心します。しかし最近、ブギーポップ読者の人とゆっくり話していたら、「今やどれをもってブギーポップシリーズというのかもあやしい」状態だと聞き、一層感心しました。森博嗣ですら、最初の10冊で離脱した身としては、出すものすべてがどうやらどっかとつながってるというサーガ状態には耐えられません。ブギーポップ、途中まで手を出して止まっているんですけれども、ちょっともう少しそのままにしときたいなと思います。

非モテ

エントリ書く度に久しぶりとかいう自分がどうかと思うが、まあでもほんとに久しぶりにアンテナをちゃんと見て回ったんだよ。すると無断リンク禁止と非モテが話題みたいだったよ。あれ?8月?とか思ってしまった。
さて非モテだが、非モテ言論は諧謔ギャグかと思いきや、結構センシティブかつ真面目なテーゼとなっているのだなあとつくづく思った。自分はもう、モテ戦線から脱落したので、非モテ言論は眩しすぎて直視できない。
戦線から脱落というのはつまり、モテ関連がなにもかもめんどくさいということだ。モテてもめんどくさいし、モテないのもめんどくさい。モテという価値基準が生活の中で意味を持っていない。現在、モテに興味がない。これは自分が年を取ったからかもしれないし、ステディな相手がいるからかもしれない、とか書くとステディな相手がいる人間がこの話題に口を出すなといわれること必至なのだろうが、ステディな相手ともう数年間ステディで、その関係を維持することが徐々に第一義となってくると、モテてもモテなくてもとにかくモテに関わり続けること自体がトラブルの下なんだからしかたがない。それでいてステディな相手との関係性というのは、モテという形容であてはまるようなきらめく甘酸っぱさではなく、塹壕をともにする二等兵同士のような、抜き差しならぬ無骨なものなのである。それはたとえば社会的な責任だったり道義的な規律のせいだったりするが、我々とてモテをめぐるあれこれの結果として現在のような現実的な関係に至っているわけであって、そういう視点からするとモテとはなんてはかないものなのだろうと嘆じざるをえない。
この辺の「モテ」に対する価値の相対性が、非モテ論壇が武装化する原因なんだろうなあと思う.実際自分としては、上記を敷衍すると「モテなんてはかないもんなんだから気にするな!がっはっは」みたいなオヤジ結論につながるのがもっともスムーズなのだが、これがどんだけ非モテ論壇にとって神経を逆撫でする言論かというのも想像できないではない。極めてパーソナルな事柄なのに、みんなが何かいいたくなっちゃう話題。でもパーソナルな事柄であるがゆえに、どんな提言があろうと絶対もめる。結局、この問題を「非モテ」という名称でまとめた時点で、みんなの話題になったってことなのかな。「非モテが発見された」のが罪作りという気がしないでもないね。