いろいろ買った

よつばと 6
よつばと! (6) (電撃コミックス)
よつばとサザエさんですよ。悪い人がいないんですよ。よつばも綾瀬3姉妹も実際にはうざいにちがいないと思いつつ、でも、ほぅ、よつばちゃんかわいいぃーとか思ってしまうんですよ。悪い人がいない世の中というのは素晴らしいと思います。どうして私たちはそういう世の中をつくれないのでしょうか。現実にはマンションの向かいの家の幼児がうざくてしかたない、そんな自分がいけません。

絶望先生 5
さよなら絶望先生(6) (講談社コミックス)
なんか絶望先生を買い始めました。この半年の間に。わくわくしなくていいところがいいですよね。週刊漫画雑誌の連載作品を買うのは、心がさびしくなくていいですよね。つらいことがあると、もう次の巻がでているんです。人をさびしくさせない。これは週刊漫画だからこその美点ですよ。

僕とフリオと校庭で
ぼくとフリオと校庭で (双葉文庫―名作シリーズ (も-09-01))
文庫化していたので、大判のときかってないし購入、と思ったけれども、そこの本屋では大判も同時においていたというむなしさ。文庫の方が本棚にやさしいので文庫で買いましたが、悩みますね。やっぱり画面の大きさって重要ですよね。砂漠の向こうに行く話が好きです。

ネムキ 1月号
ネムキ 2007年 01月号 [雑誌]
カタログノワールがわりとすきなので、今月はもうけた、って感じです。2ちゃんの少女マンガ板を見るともなしに見ていたら、TONOスレが上のほうにあったので興をおぼえてチェックしたところ、妹叩きが多かったのにわらいました。いやー、うぐいすみつるは誰が面白いんだろうなあとずっと疑問に思っていたのですが、やっぱ叩く人は一定いるもんなんですね。

アフタヌーン1月号
セラフィックフェザーが全然わかりません。もう長いこと読んでるのに、さっぱりわかりません。アフタヌーンは最近、大きい漫画が弱いのがピンチですよ。ガンスミとかセラフとか女神様とかきゅっとさせて、新しくて大きい漫画が始まるといいなあと思っています。

ホーガンを読んでいます

星を継ぐもの (創元SF文庫)
いままで読まず嫌いだったJ.P.ホーガン「星を継ぐもの」をふとしたきっかけで読み始め、一気にはまりました。いま、「優しい巨人」がおわったとこです。オールタイムベスト的良作ですが、最近の本屋って、良作の文庫をおいてないんだよねえ。早川文庫の品揃え自体、店によってばらつきがあるんだけど、やっぱり普通は新作か売れ筋しかおいてないから、古典的良作はなかなか見つけられないのです。大きい本屋行くしかないか、と思ってたけど「優しい巨人」は品川駅構内の本屋で購入しました。駅の本屋なのにえらいぞ。
で、よい小説を読んだときは語りを共有したかったりするわけですが、ネットで「星を継ぐ者」って誤って検索したらガンダムだらけでびっくりした。「者」と「もの」とで大違いだ。
いやー、めちゃくちゃ面白いですよ。「もの」。自分のように読まず嫌いの人はぜひ読むべき。来年は伝統的良作を精力的に読もうと思います。
ところで「ガニメデの優しい巨人」というタイトルは、プログレバンドんおGentle Giantとなにか関係があるんでしょうか。気になる。

 やる気が出ない

ここのところ3ヶ月くらい、やる気が出ない。9月末締めの原稿をまだひっぱってる。たいした内容でもないのに。このやる気のなさといったらどうだろうか。
あと、人間関係がくだらない。仕事ができるとかできないとか、期待されたパフォーマンスを達成するとかしないとか、それらはくっきりすっきりした、ただそれだけの話であるべきなのに、どこまでもコミュニケーションな世の中がうざい。人格というのはシステムであって、パフォーマンスではないと思う。パフォーマンスさえちゃんとしていれば、システムはどうでもいい。あるいは、パフォーマンスがちゃんとしていなかったとしても、それはそれだけのことであって、システムの問題ではない。システムを変容させるかさせないかは、個々人が決めればいいことであり、周囲が期待するような事柄ではない、と思っているのだが、なんだろうこの周囲に蔓延する気合主義は。気合をこめて熱く仕事するんだっ!とか言われてもさあ。
淀川の水を飲んで、土曜の昼に吉本新喜劇を見て大きくなった人間に、がむしゃらな成長主義を求めるのはあまりにも過酷ではないかね、と主張したいが、いらんこといって職を失うと貧困コワイヒーだし、せめて外側だけでもやる気元気を儀装して、中にはあほぼん心を満タンにして過そうと思っている。
でも結局、そーゆーことやってるからコミュニケーションに投下するエネルギーが増えて、不経済なんだけどね。やりたくないことはやりたくないという勇気。やりたくないといわれても傷つかない勇気。生身でむき出しでつきあえればいいのにねえ。

マリコ

やるべきことがあってパソコンの前に座っているのにやりたくない、そんなときにはてダというものはすすむものですね、とか思いつつ。
http://d.hatena.ne.jp/strange/20061219#p6

石原真理子の80年代末から90年代初頭で停止しているファッションセンスについて語っているブログエントリーが読みたい。

ブログエントリーは知らんのだが、週刊文春12月21日号で林真理子ががっつり書いている。

過去のビデオがいっぱい流れる。四十二歳の彼女は二十歳の時と全く同じヘアスタイル、化粧だ。長いストレートヘア、太い眉。まるで女性誌の、
「人ってこういう風に老けていくんです」
という図解説明みたい。
失礼を重々承知で申し上げますけれど、ある程度いいおうちの、独身の女性に時々こんな方がいますね。地方だと旧家、東京だと世田谷あたりの古い大きなおうちに住んでいる。

こんなかんじ。いやー、やっぱ林真理子はやりますわ。夫と喧嘩したとか、著名人のだれそれさんと遊んだとか、ああいうのは週刊連載ならではの余技みたいなもんであって、本領はこういうところですよね、真理子。
この間読んだ斉藤美奈子「文壇アイドル論」で真理子だけが素直にほめられていたのを思い出す。自分も真理子は過小評価気味だと感じていたので嬉しかった。田辺聖子のあとは真理子だと思うんだけどなあ。