まだまだつづくよセカイ系

というのは嘘で小ネタ。動物化するポストモダン、と何の気なしに書いたのだがキーワードになってると気づき、はてなキーワード動物化するポストモダン」を見に行って仰天する。見てくれ。驚くから。見ない人のために引用。 注)斜体は引用者による修飾。

東浩紀の著書。正式タイトルは『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』。オタクや萌え、そしてそれらに密接に結びつく90年代後半以降普及してきた「ギャルゲー」と呼ばれるオタク向けゲームやウェブサイトなどのデジタルコンテンツの構造について、「データベース」をキーワードに解読する。ここで東が示した「萌え要素」という概念は、萌えを語る際に最も引用される。萌えに関してこれ以上の解答は現在ない。戦闘美少女の精神分析への解答でもあるので、読み比べてみることをすすめる。もちろん、オタクを語る上での最重要参考資料。

( ゜д゜) …。“最も”、“もちろん”、“最重要”。うゎーい。

生年とかせかい系とかふぁうすとまつりとかいろいろまとめて

最後にまとめがわりに全体にキモイとか馴れ合いキショイとか自意識過剰やれやれとか印象論で悪態つこうと思ったがオフレポやら熱い語り読書記録やらみるとみんな遙かに年下だということを発見して一気に萎える。ザ・年齢差別。というよりは自分を振り返るにそういうお年頃なら斜め下から軽口叩かれても通じるわけなかろうと諦観。たとえ年齢だけが形質でないと理解していてもなんか萎えた。1971年生まれの東さんはそうでもないみたいですごいですな。

もしセカイ系ということばで何かを語ろうとするなら

自分ならどうするか。まずことばの定義を確立するために、ことばが生まれた状況を調べる。できればオリジナルのキャッシュをさがしだす。つぎに整備されている初期の言及リンクをたどり一通りテキストを読む。この過程でできればオリジナルの誕生の頃を追いかけていた人々に個人的なコンタクトをとり、インタビューを試みる。オリジナルが出てきた状況を調査し終えたら、その時点で俎上に載せられた作品/物語を抽出し批評的に鑑賞しメモをとる。ここまででオリジナルの整理。
オリジナルの言葉が発生してからの時系列を整理し、言及が時間経過とともにどれほど増えていくかをなんとかして観測する。できればここでグラフなどで図示化する工夫を考える。観測するとともに言及しているテキストをサーベイする。時系列が整理できればいくつかの時期を仮に設け、言葉の使われ方がどう変容しているか(またはしていないか)を把握する。オリジナル発生以降に取り上げられる作品を総説し、発生時と変化しているかどうかをチェックする。
ここまではweb上でできるからそう面倒でもない(手間だけ)が、この後さらに紙メディアにどう波及したかを調べることが必要。これが面倒そうだ。つけくわえて、言及テキストがそれぞれにのっかっているコンテクストを整理して、どういう視座での論説がなされているかをひろって既存の文学論・文明論をある程度サーベイしてそれとつなげる。これはまあ序章とかイントロダクションの部分だから別になくてもいいが、筆者のスタンスを明らかにするためにはあった方がよい。最後にこれらすべてを総括してことばの使われ方を整理・定義し、なぜそのことばが広く用いられるのか、そのことばがどういう状況をとらえているかを考察する。
とまあ自分ならこういう手段でとりかかるかと。実証研究好きだからどうしてもこういうアプローチになる。リンク集が充実しているしほとんどがweb上の話なので、時間はかかるだろうが手間さえかければ1ヶ月くらい費やせばある程度カタチになるのではないだろうか。箔付けの先行研究展望が実は一番時間がかかりそうだが、それはまあ既存の権威との連絡のためだから発表手段によっては無くても全然構わない。とにかくどう考えても手間仕事だから、ネット言論から収奪して自分のロジックを組み立てて飯のタネにするならともかく、そうでないならあんまり自分でやる気はしない。とはいえお金くれたりこの業績で仕事くれるならやってもいいですが(笑。このことばだけでなくいくつか他のことば(キミとボク、儀礼的無関心などなど)に対しても同様の手法で総括しておけば、それらを連結してD論くらいになるかな。文明論とかカルスタの研究室にいればやるんだがなあ。どっちみち毎日ネットに逃避して遊んでるんだし。
追記:関連というわけでもないがこれに協力した→「はてな」利用者に対するウェブ日記・ブログ意識調査

生年リスト 補足

生年は客観的に扱える形質として比較的入手しやすいが、生年だけでは世代を切ることができないのは当然で、生育環境や個人の人格によって同年生まれでも文化的に大きく異なるのはふつうのことだ。たとえば自分の友人には、物心つく頃から70年代ロックに魅了され没入し、家族でテレビを見る習慣がなかったこととあいまって、70年代生まれなのに思春期から今まで70年代からそれ以前の洋楽にしか興味を示さない者がいる。こういう人間とは当然、同世代でも共有のサブカル話題は少ない。というようなことは分別ある人間なら自明であるが、生年リストはそれをもって何かを論じようとするものでなくただ眺めておもしろがるための手段にすぎないということをわざわざ明記しておく。

気持ちはわかるが

下のリストに千原Jr.を入れようと思い(この時点でもうどうしようもないよな)はてなキーワード千原兄弟千原浩史千原靖史を捜したところ、セイジとジュニアのあまりの落差に大爆笑した。

生年を気にしてみる

やっぱ生年だ!と急に気になったのであれ系がらみで連想する人々の生年を調べてみた。といっても調べているうちに加速度ついてきたので全然関係ないような人も多数混入している。自分の中では連想できるのだが客観的に見たら関係なさすぎ。公開プロフィール依拠。ソースははてなキーワードと個人名+生年でGoogle検索。あとhttp://d.hatena.ne.jp/marita/20040118#p1http://www2s.biglobe.ne.jp/~ttsyhysh/list/seicomic.htmlhttp://homepage2.nifty.com/mysterySAITEN/nenpyou.htmlをめちゃくちゃ参照しました。

1924:吉本隆明吉行淳之介
1932:石原慎太郎
1934:筒井康隆
1935:筑紫哲也大江健三郎
1936:蓮實重彦
1938:細川護煕
1941:柄谷行人富野由悠季宮崎駿
1942:小沢一郎小泉純一郎
1944:久米宏
1946:菅直人
1947:岡留安則
1948:笠井潔島田荘司
1949:村上春樹すが秀実矢沢永吉
1952:村上龍
1953:神林長平
1954:安倍晋三
1955:野田秀樹
1956:田中康夫
1957:浅田彰森博嗣ゆうきまさみかがみあきら石原伸晃氷室冴子
1958:岡田斗司夫唐沢俊一大塚英志古賀潤一郎鴻上尚史
1959:宮台真司二階堂黎人田口ランディ辻仁成
1960:中森明夫庵野秀明綾辻行人新井素子氷室京介
1961:大森望士郎正宗
1962:上祐史浩村上隆宮崎勤
1963:京極夏彦、ケラリーノ・サンドロビッチ、松本人志
1965:尾崎豊
1966:冨樫義博
1967:高橋しん
1968:上遠野浩平柳美里
1971:東浩紀秋山瑞人黒田硫黄
1972:木村拓哉中居正広
1973:新海誠舞城王太郎稲垣吾郎中澤裕子
1974:清涼院流水木尾士目草なぎ剛(“なぎ”でませんすいません)
1975:元長柾木平野啓一郎
1977:香取慎吾
1978:滝本竜彦乙一浦賀和宏椎名林檎
1980:佐藤友哉保田圭
1981:西尾維新安倍なつみ飯田圭織

作りながら自分でも笑ってしまった。「あんな書評*1書いてる二階堂は宮台と同じ年か」「流水と木尾が一緒ってことは京大ミス研ってげんしけんぽいの?」「浅田・森・ゆうきって妙に納得」「宮台の東あたりへの親和性の高さは世代的に見てやっぱ異常」などなど妄想ネタに事欠かぬ。奈須きのこ菅野ひろゆき桜井亜美の生年がわからなかったのでご存じの方はご一報下さい。対照のために政治家とかSMAPとか入れてみたが、やはりゲーノーの人って年齢に比してキャリア長いよな。逆に政治家は若く見えすぎ。あとどんどんリストがのびるのはテレビでやってる「雨に唄えば」がかっこよすぎるからである。
11:54 モーニングの人など追記
14:50 ジャーナリストと政治家など追記 泥沼になってきたのでここらでやめる。あとはネット上の生年月日データベースなどでご自分の妄想を補完してください。
17:22 すっかり忘れてたので村上隆だけ追記
18:48 本当に終わりにしよう。尾崎とそれに伴って思いついた人追記。しかしこのリストアップだと1957-1960が大変笑える。1962がえらいことになってしまって村上には悪いと思うのだが自分としては悪意の仕業ではなく連想→生年検索の順序であることを強調しておきたい。

最低限のお作法

まあ一般論だと思うが、「定義せずに特殊な用語を用いる」「根拠を示さない」「例があるといいながら例を挙げない」「比較の対象を示さずに比較級を使う」などという文章は読む気がしない。せめてそういう批判を回避するエクスキューズを入れるくらいのずるがしこさは持ちたいものだ。

安吾原理主義

坂口安吾堕落論の中に「不良少年とキリスト」という文章があって、太宰自殺を受けた安吾の太宰論なのだが結構いろんなことをうまく評しているのでなにかと自分の脳裏にはすぐ想起されるのだが、皿洗いしててふと、安吾が言うところの太宰がだめで芥川がまだましでドストエフスキーとなるとそりゃもうという対比は、佐藤友哉滝本竜彦より心配でこの二者と似たようなフィールドなのに西尾維新とか乙一とかが全く大丈夫そうに見えるのとよく似てるなと思った。評論家とか編集者がなんかいっても西尾などはうまくやりすごしそうだが、佐藤はなんか真に受けたりしそう。西尾とか乙ってM.C度が高そう。かといって佐藤が太宰かというとまたそれはあれなんだが。太宰嫌いだけど文学史的業績はすごいし佐藤好きだけどメフィスト的業績はすごくないらしいし。ところでファウスト1号によれば佐藤と滝本は自分の名前を検索して読むらしいがほんとなんかね。